Jimi Tenor in NY. Photo: Hisao Oka

Biography

 ジミは名前を少しカッコ悪いラッシ・レート(Lassi Lehto)からジミ・テナーに変え たのだった。「テナー」はジミのお気に入りの楽器、テナーサックスから、そして、 ジミは70年代のポップ・スターであるジミー・オスモンドに似ているところからき た。

 1989年から92年にかけて、ジミは非商業的インダストリアル・グル―プ、ジ ミ・テナー・ウィズ・ヒズ・シャーマンズで4枚のアルバムを作ったのであった。特 に、彼らが使った空オイル缶のドラムの音色は、悲しいことではあるが、しかし当然 のごとくジミをほんの小さな成功に導いたのであった。いよいよ、フィンランドを去 るときが来た。ジミは考えの末、ポルトガルを経由し、ベルリンに落ち着いたのだっ た。シャーマンズの最後の録音はベルリンで行なわれ、そして、ジミはシャーマンズ を解散するのであった。

 ジミは、ベルリン住まいの後、ニューヨークに渡り写真を撮り始めたのだった。日 中、エンパア・ステート・ビルの最上階の観光記念写真館で写真撮影をし、夜は、 いっそう芸術的な物を試してみているのであった。暇を見つけては友人のユス・ロウ ネラ(Jusu Lounela)と何本かの本当に奇妙な映画を作っているのであった。

 ニューヨークでジミの音楽のスタイルは同じく異なった方角に発展し始めた。 ジ ミがキッチンでレコーディングした、リラックスした皮肉なジャジーな曲は、トッミ ・ギューロンルンド( Tommi Gronlund )のサーコ( Sahko)レコーディングスよ り、ジミの最初のソロアルバム「サーコミーズ」( Sahkomies ・1994年)とし て結局はリリースされた。アルバム中の1曲「テイク・ミー・ベイビー」(Take Me Baby)が、なかなかのヒットになった。

 ヨーロッパ・ツアーの最中セカンド・アルバム「ヨーロッパ」(Europa・1995 年)がリリースされる。ツアー中、とある場所でステージ上の肉を撫でるジミを見た ワープ・レコードのスティーブ・バコットは、取り引きが避けられなかったのと同じ くらい感動しました。そして、ジミの新しいレーベルでのデビューアルバム「イン ターヴィジョン」(Intervision・1997年)は、すぐに大きな重大な称賛に遭遇 しました。

 1999年の2月に、次の作品「オーガニズム」(Organism・1998年)がリ リースされ、そして、ワープはサーコからの作品を再プレスしリリースした。199 9年の秋、ジミはポーランドにオーケストラとレコーディングする為に赴きました。 その結果は2000年7月にリリースされた「アウト・オブ・ノーウェア」(Out Of Nowhere)である。そして、このアルバムがワープからの最後の作品となった。

 ジミは自分の一番の才能を、人々に才能がないのに才能を持っていると信じさせる 「いんちき(faking)」だと言う。そうジミが言っても、ジミはジャズ、ファンク、 ソウルそしてテクノから如才を結合させそれを楽しい経験とさせる素晴らしい音楽を 作っている。

 ジミは一度、すっかりコンタクトレンズを試みた後に、自分のユニークな方法で世 界を見る能力を失った。そして、副業として自身のブランド、テナーウェアー (Tenorware)のデザイナーとモデルを始める。

Jimi and Nicole. Photo: Chris Gurney

 多忙なスケジュールの中の平穏な時間に、ジミはニューヨークでニコル・ウィリス と1999年末に結婚する。2000年をロンドンで過した後に、気候が温暖なバル セロナへ再び引っ越した。

 2000年の秋にワープとの契約を破棄したジミは、もともと居たフィンランドの レーベル、サーコへ戻りシングル「コスミック・リリーフ」(Cosmic Relief EP・2 001年)をリリース。その後、シングルカットを含むアルバム「ユートピアン・ド リーム」(Utopian Dream・2001年)をリリースした。

Translated by Mayuko Wada

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